人間科学部、その未来へつなぐもの

1987年の創設から30年の節目を迎えた人間科学部。これまで人間科学部が大切に育んできたものとは。そして、未来へと手渡していきたい人間科学部らしさとは何か。学部創設の年、先生と教え子の間柄だった、谷川章雄教授と黒岩義人さんにその思いを語っていただいた。

大学とは、教員と学生の相互作用でつくり出されるもの

谷川 人間科学部が1987年に創設してちょうど30周年。黒岩さんは1期生として入学されました。今日は、現役生だったころを振り返ってお話をしていただければと思っています。
黒岩 いちばん印象に残っているのは、やはり先輩がいなかったことですね。良いにしろ悪いにしろ先輩から受け継がれる伝統やマニュアルみたいなものがありませんから、何をするのも自由である一方、手掛かりが一切ありませんでした。
谷川 それは教員である僕らも同じですね。すべてが手探り状態。逆にこれからすべてのものを自分たちでつくっていくという、いい雰囲気がありました。
黒岩 偉そうに言うと、学生だった僕らも一緒につくっているという気持ちがありました。
谷川 それは正しい考え方ですよ。本来学校というものは、教員と学生とが一緒につくり上げていくべきもので、教員と学生の相互作用の中で出来上がっていく生き物のようなものですから。黒岩さんは、人間科学部にはどのようなイメージを持って入ったんですか。
黒岩 法学部は法律を学ぶところ、文学部は文学を学ぶところですが、人間を学ぶって、いったい何をするところなんだろう。人間を学ぶことなんて本当にできるのかと思っていました。実際に入ってみると、考古学だったり、哲学だったり、心理学だったり、人間の営みに関わることなら何でもありとばかりに、面白そうな講義がたくさんあって選ぶのも楽しかった。でも、哲学と心理学を勉強しようとしたら、2つを融合させないと人間科学にならないじゃないですか。そうした専門領域の架け橋となることが楽しめる、もしくは考えさせられるのが人科だったのかな。
谷川 あの頃はまだ、人間科学という言葉自体もあまり知られていなくて、大阪大学が1972年に日本で最初に人間科学部をつくって、私立大学では文教大学に次いで早稲田が2番目でした。逆に言うと、あなたたち1期生は、よくもそんな海のものとも山のものともつかないところにやって来たなと正直思いました。無謀といえば無謀だよね。
黒岩 そうだと思いますよ。当時、僕は浪人中で、人科って何をするところなのかなというイメージがないまま試験を受けた。実は、親父が新聞広告を持ってきてくれて、初めて人間科学部のこと知ったんです。
谷川 12月に文部省の認可がようやく下りて、それまで広告が打てなかったからね。
黒岩 そうだったんですか。親父に「早稲田に新しい学部ができるみたいだ。先輩もいないし受けてみたらどうだ」と言われて受験した。動機が不純ですね。でも、無謀といえば無謀ですけど、何でもありといえば何でもありで、この“なんでもあり感”がすごく面白かった。

人間科学部はフラットにつながり広がっていく生き物のようなイメージ

谷川 1期生が入って卒業するまでの最初の4年間は、僕たち教員の間でもよく人間科学とは何かという議論をしていました。自然科学では主観と客観を分けて考えないといけないんだけど、自分自身が見る側でも見られる側でもあるというのは、本来、自然科学が目指すところと決定的に違うのではないか。その頃は、まだ上手く言語化できていなかったけど、あまり小さく切り取らないで全体を見ていこうというのは大事な方向だったと思う。
黒岩 僕も今回、先生と人科についてあらためてお話しするというので、いろいろ考えていたんですけど、佐々木正人先生の『知覚はおわらない』ではありませんが、人科はフラットにつながっていく、そんなイメージがありますね。先生と初めてお会いしたのは、1年生の時に一般教養で取った近世考古学の授業でした。江戸紫と朝顔の話がとても面白くて授業の後に先生の研究室までついていったんですよ。
谷川 そうだったね。
黒岩 僕は3年生から認知科学や生態心理学を専攻しましたが、先生とは卒業後もずっとお付き合いが続いていて、今日また、ここに呼んでいただいた。人科というのは、ぐるぐる回ってひとつ所に止まらない。どこまでも広がっていく生き物のようなイメージがあります。でも、そのことを強く意識したのは、大学を卒業してNHKに入局してからですね。テレビのディレクターという仕事は、芸能人や学者といった異能の人たちの間に入って「僕はこうしたい」と強く主張しなければなりません。一方で、一歩引いてどうやってまとめ上げるかという視点がないと番組にならないわけです。番組の企画を立てる時に、僕がいつも考えていたのは、関連のないものをつなげることで見えてくる面白さです。『ためしてガッテン』(現『ガッテン』)のディレクターをしていた時も、誰も想像もできないような意外な組み合わせばかり探していました。当時は先輩や同僚、後輩からもどうやって探してきたんだと聞かれましたけど、どこでこれを培ってきたかといえば、間違いなく人科ですよ。
谷川 学問というのは、視野をぐっと広げて好奇心のかたまりになって生きていく延長線上にある世界だと思っています。長年タコツボ化して効率的に研究をしてきた人が、後から対象を広げていこうと思ってもそれは非常に難しい。最初から広がっていないと無理だってことを僕はずっと言い続けてきたんだけど、人間科学部は最初からそうした精神を持っていた。そこがすごく大事だったと思いますね。

探求心に歯止めが掛からない 選び取る自由を謳歌できる

谷川 黒岩さんが現役生だった頃と比べて、いちばん大きく変わったなと感じるところはなんですか。
黒岩 やっぱり木が大きくなりました(笑)。30年前はまだ木がひょろひょろしていて、バスを降りると校舎全体が見渡せましたから。
谷川 今はもう森の学校になっちゃったね。学校が始まったころは、人とペガサスの像も土台しかなかったでしょ。
黒岩 そういえば、そうでしたね。何ができるのかってみんなで話していましたから。
谷川 ヨーロッパから船で運んできたために時間がかかって開校までに間に合わなかったとか。しかし、肝心の校舎も内装工事が遅れ気味で、あちらこちらにベニヤ板が貼ってあったり、実際、授業の開始が少し遅れたんだよね。
黒岩 そうでした。今だったら考えられない。のんびりした時代でしたね。
谷川 まだ、君たち1年生しかいなかったから、どうにでもなったけど(笑)。今から5年前、人間科学部25周年の記念式典で、所沢キャンパスを設計された池原義郎先生の講演会があって、先生は緑が深くなっていずれ校舎が森の中に埋もれていくことを想定して設計したとおっしゃっていた。何十年も先のことを考えてつくるって、建築家の仕事ってすごいなと感心したのを覚えています。
黒岩 今の若い人たちはどう思っているかわかりませんが、所沢キャンパスは見事なくらい周囲に誘惑がないので学舎(まなびや)としては最高の環境です。ハイデガーは、束縛からの自由と選び取る自由の2つを説いていますが、大学という場所は、圧倒的に後者で、好奇心や探求心に歯止めを掛けなくていいところなんですね。とりわけ人科は他の学部に比べても、選び取る自由を謳歌できる場所だったと思う。所沢キャンパスに来ると時間の進み方や使い方が変わりますから。人科は、これからも選び取る自由がある場所であってほしいと思いますね。
谷川 僕が30年間、大学を内側から見てきて大きく変わったと感じるのは、学生の気質ですね。実に真面目になった。それはいいことでもあるんですよ。勤勉なんだから。あなたたちの頃は、すごくいいかげんな学生生活を送っていても、卒論はものすごくいいものを書き上げる人がたくさんいた。今は、普段から真面目に勉強してきちんと卒論も書き上げて卒業していく人がほとんど。80年代のバブルが終わって、90年代に入ってから、時代の趨勢で社会全体が口やかましくなって、それは今でも続いていますね。
黒岩 僕は1991年に卒業してNHKに入局したんですが、映像編集室はいつもタバコの煙でもうもうとしていました。ここに1週間とか10日こもって作業をするわけですけど、番組の出来さえ良ければ、番組づくりのプロセスのことは誰もやかましく言わなかった。今では考えられないことですけれど。

大学という枠組みを越えて、新しい価値を創造し続けてほしい

谷川 僕は30年間、若い人たちと付き合ってきましたけれど、彼らの感性は君たちのころと遜色ないというか、ほとんど変わってないと感じています。ゼミ合宿では、60代の私と20代の彼らが泊まり込みでフィールドワークをするわけだけど、僕は自分が彼らぐらいの年だったころを思い出しながら話をしようとしています。そんな昔のことは必ずしも正確に覚えていないかもしれない。過去は美化されますから。でも、自分の20代の頃を思い出しながら彼らと付き合っていると、やっぱり共通の言語というか、非常に共感できる感性を持っているんですよ。
黒川 大学というのは、先生が学生に対して、あなたが持っているその感性が貴重だということを教えてあげたり、もしくは学生自身が気付ける場所であってほしいですね。僕自身、学生生活を振り返ってみると、サークル活動や友達と過ごした楽しい思い出がたくさんありますけど、何より、たくさん本を読んでたくさん考えていた。2泊3日の合宿で本を1冊読んで何かものを言えとか。今でも、人科で身に付けた“考えるプロセス”が自分の中に刻まれています。人科には他の学部よりも、たっぷりと考える時間と場所がある。人科の学生たちには、人科のいいところを10年、20年と引き継いでいってほしいですね。
谷川 僕は人間科学部が開校する6年ほど前から、ここで発掘調査チームに加わっていました。チームには、私のような文系考古学だけではなく、地質学や植物学の専門家もいました。その中に古生物学や考古学が専門の辻誠一郎先生がいらして、彼が言った「この現場こそが学校なんだ」という言葉がとても印象に残っています。教員や学生がディスカッションをしながらずっと同じモノを見続けていくことが大切なんだと。人間科学部はこうした考え方が出発点になっていると思っています。大学とは何かということを、常に教員と学生がともに考えながら、既存の枠組みを超えるような新しい価値を創造し続けてほしいと思います。
黒岩 それは早稲田に共通する精神ですね。人科にはそれが色濃く残っている。
谷川 なによりもわれわれ教員がそのことをしっかりと受け止めなければなりません。今日はありがとうございました。

谷川章雄

谷川章雄人間科学学術院教授

1978年早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。1987年早稲田大学大学院文学研究科史学(考古学)専攻博士課程(後期)単位取得満期退学。博士(人間科学)。早稲田大学教育学部助手、早稲田大学人間科学部専任講師・助教授を経て、1996年4月から現職。

黒岩義人

黒岩義人NHK名古屋放送局編成部デジタル開発副部長

1991年早稲田大学人間科学部卒業。同年、日本放送協会(NHK)入局。番組制作ディレクターとして『ためしてがってん』『ロボコン』などを担当。甲府局、NHKエンタープライズなどを経て、現在に至る。